地域創生、雇用創出など。スポーツ・観光を切り口に世の中に貢献する

スキー場の再生と空きスペースの活用から、スポーツ・観光事業が新たに生まれた

バブルの頃、日本はスキーブームが起こりました。その後、ピーク時には2000万人を超えたスキー人口は約700万人まで減り、国内スキー場のマーケットは縮小の一途をたどっていました。2005年、スキー場の惨状をなんとかしたいと立ち上げたのが、日本スキー場開発です。スキー場は地域産業であり、スキー場を活性化することが、日本の地域も元気を取り戻すことに繋がっていくのではないかと考え取り組みを続けてきました。関わるスキー場を増やしながら成長し、業界でも5本の指に入る規模になってきました。2015年、東京証券取引所マザーズ市場に上場し、スキー場を主体事業とした会社として初となる上場会社となりました。現在は、8箇所のスキー場の運営を行っています。 一方、エリア全体の活性化に取り組んでいるのが日本テーマパーク開発です。2016年に「那須ハイランドパーク」を譲り受け、事業の立て直しを図ってきました。2020年には「那須高原りんどう湖ファミリー牧場」もグループ化し、地域のシンボリックなテーマパークを中心に、そのエリア全体の観光資源を見出し、地域のブランディングや価値向上に取り組んでいます。800万㎡の敷地にある5,000区画の別荘地の魅力もさらに高め、地元の人々と一体となってエリアを元気にすることが、観光事業のミッションです。

スポーツ事業の取り組みについて

スキーシーズン以外の経営がスキー場再生のカギとなる

鈴木:スキー場の大きな課題として、冬以外に事業がなかったことがあげられます。しかし、実際にその地域で暮らしてみると、グリーンシーズンにもそれぞれの地域の魅力がたくさんあることに気がつきます。例えば長野県の鹿島槍には、数百人が宿泊できるスキーヤーズベッドがありました。これを活用し、年々増えていたキッズキャンプイベントの企画や、トライアスロン競技者の合宿施設としての営業も始めました。竜王では、日本で最大のロープウェイというハードの強みと、山頂エリアならではの絶景や景色といった自然を最大限活用し、ソラテラス事業を始めました。標高約1800mの山頂エリアに設置されたテラスで、美しい雲海や夕焼けをゆったりと楽しめます。また、ソラテラスのすぐ隣のレストランの大幅なリニューアルと、メニューも一新、美味しい食事やコーヒーを堪能いただけるようになったことで非常に多くの女性のお客様にご来場いただけるようになりました。また、白馬岩岳は、グリーンシーズンに200万輪が咲き誇る広大なゆり園を散策できることで人気を博していますが、あらたにマウンテンバイクのフィールドをオープンし、毎年コースを新設することで年々お客様が増えてきました。こんなふうに、既存のハードやそれぞれの山がもつ魅力を最大限活かし、グリーンシーズン事業にも注力しています。収益が向上するだけではなく、冬だけのパート社員から正社員を増やすこともできるようになってきたのです。

鈴木:日本スキー場開発の創業メンバーは、スキーが大好きな人ばかり。「毎年スキーに行かない人の気持ちが分からない」と言うのです。でも、私はスキーに行かない人の気持ちもよく分かります(笑)。だからこそ、客観的にスキー場のサービスを判断し、改善を進めることができたと思います。一方で、私は地域創生に非常に興味がありました。その地域にしかない物を見つけ出し、世間に広める事でその地域の価値を高められればと思っています。スキー場自体も良くしていき有名にしていくことは勿論頑張っていくのですが、その地域がさらに元気になっていくお手伝いもしていきたいと考えています。岐阜県の、めいほうというスキー場の地元では明宝ハムという非常に有名なハムの他にも美味しいお米があることを見つけました。また、群馬県の川場スキー場がある川場村では何度もお米のコンクールで金賞に輝いた雪ほたかなど素晴らしい特産品があります。めいほうと川場の道の駅では、こういった食材を活用し、おにぎり屋を私たちが運営しています。 日本スキー場開発というよりは、スキー場や地域の方たちが主役になって頂くことを大切にしています。すでに鹿島槍と川場スキー場、めいほうスキー場では、地元の方に代表を任せています。私たちと一緒にスキー場経営を行う中で、経営のノウハウを吸収して頂き、いずれは地元の方に経営者になって頂く。地域の方にとっても、その方が喜ばれると思いますし、経営できる人財が地元に産まれていく事は、その地域が元気になっていくことにも繋がっていくと思っています。長期的な目線をしっかりともち、地域へのサポートと基幹事業であるスキー場をハードとソフト、両面でリノベーションをしていき、20年、30年後を見据えてさらに良い未来を、地域と一緒になって創っていきます。

観光事業の取り組みについて

コロナ禍で達成した過去最高の入場者数
地方の観光地をテーマパークから活性化する

雪本:那須エリアのシンボリックなテーマパーク「那須ハイランドパーク」をさらに魅力ある遊園地にすることで、那須エリア全体の活性化に取り組んでいるのが日本テーマパーク開発です。2016年に譲り受けて以降、日本最大級や日本初登場となるような目玉になるアトラクションや宿泊施設に投資し、ペットフレンドリーな遊園地作りを進め、コロナ前には年間約50万人を超える来場者がありました。しかし、2020年4〜5月にかけては緊急事態宣言で営業を停止。1日5,000万円の売り上げが失われていきました。その中で最初に取り組んだのは従業員1人ひとりとの面談です。対話を通じて自分たちでできることを考え、形にしていく取り組みを始めました。家にいながら楽しい遊園地気分を味わえる動画コンテンツ「おうちで那須ハイ」の配信や、お弁当宅配サービス「ナス配」など、利益は小さくても楽しさを届けられる試みです。また東京方面への修学旅行や宿泊教室が中止になった学校が多かったので、緊急事態宣言以降は東北から北関東地方の小中高校や旅行会社に営業して、団体客の新規獲得を図りました。その結果、2021年は5万人の新規のお客様に訪れていただき、特に10〜12月は過去10年で最高の入場者数を更新することができました。また、学校を卒業してもぜひまた来てほしいという思いを込め、翌年の年間パスをプレゼントしています。思い出に残れば、将来家族を持った時にきっとまた来てくれるでしょうから。一方、緊急事態宣言中にグループ化した「那須高原りんどう湖ファミリー牧場」は、地元の未就学児をターゲットにした牧場併設型のテーマパークです。コロナ禍で赤字からのスタートでしたが、閉園中に行った施設の大幅なリニューアル、乗り放題パスの販売強化などにより、翌年には黒字転換することができました。日本中、コロナ禍で閉園せざるを得なかった遊園地の話をいくつも耳にしました。遊園地業界をもう一度盛り上げるためにも、業務提携などを通してオペレーションの改善やDX(デジタルトランスフォーメーション)の活用を図り、一つでも閉園する遊園地をなくしたいと思っています。

雪本:地道な取り組みでコロナ禍を乗り越えたテーマパークに対し、宿泊事業と別荘事業はコロナ禍でもリソースを割き、新たな投資をためらいませんでした。テーマパーク事業の人員を別荘事業部へシフトさせ、2020年4月の新入社員も全員別荘事業部に配置。別荘地のオーナー一人ひとりに電話をして草刈りや間伐などの手入れを呼びかけるなど、利益を積み上げていきました。また、自分たちで重機を用意して森の間伐を進め、コロナ禍で需要が伸びていたキャンプサイトを拡張。社内のリソースを活用して工事をしたので、数百万円の投資で22サイトから55サイトに増やすことができました。また、コテージの宿泊客数自体は一時的に減りましたが、連続で50〜60泊するような東京からの長期滞在のお客様がいらっしゃいました。緊急事態宣言が明けた後は別荘の新築にも踏み切りました。他の宿泊客と離れて過ごせるコテージタイプの宿泊施設の需要が伸びていたため、まずは貸別荘としての利用を伸ばそうと考えての投資です。最終的には別荘として売却予定ですが、宿泊施設として運営することで十分収益がでるため売却までは貸別荘として活用しています。また宿泊事業では、ビュッフェスタイルの夕食がコロナで難しくなったこともあり、屋外でのバーベキューを主体とする夕食に切り替えました。別荘までバーベキューセットをケータリングするサービスも始め、2021年10月にはペットフレンドリーの半個室型バーベキューサイトも新たにオープン。コロナ禍での新たなニーズに応える取り組みで順調に業績を伸ばしました。地方創生はよく、街・人・仕事の順番で語られますが、私たちは仕事から始まると考えています。仕事があるから人がどんどん増えていき、そこに街ができる。日本テーマパーク開発ではいま採用を増やしていますが、採用を増やすことで一人でも街に住む人を増やし、地方の人口流出を防ぎ、街の魅力をさらに高めていきたいと思っています。


※掲載情報は取材当時のものです。

PROFILE

日本スキー場開発株式会社
代表取締役社長
鈴木 周平

監査法人、ゴルフ場再生ファンドを経て、 2006年日本駐車場開発入社。翌年財務担当取締役に30歳で就任。 その後、2012年に日本スキー場開発社長に就任し、 2015年にマザーズ上場を達成。

藤和那須リゾート株式会社
パーク事業部長
雪本 智史

2003年新卒日本駐車場開発入社。2007年日本スキー場開発に入社し、 2010年(株)北志賀竜王(竜王スキーパーク)代表取締役社長に就任。 テーマパーク事業の立ち上げとともに、2016年日本テーマパーク開発社長就任。