日本駐車場開発株式会社

学歴ではなく、どれだけ行動して考えられるか。
人の話に耳を傾け行動することで、
大きく成長できた。

日本自動車サービス開発株式会社
取締役 横濱 雄和 日本で出生し、父親の仕事の都合で高校生までインドネシアで過ごす。2019年に知り合いの紹介で日本自動車サービス開発に入社。ダイレクトマーケティング本部 東京ネットグループ 第1チーム長を経て、2021年11月に取締役に就任。

新入社員、グループ代表に大口を叩き、
やるしかない状況に自分を追い込んだ

子どものころからインドネシアで過ごし、高校卒業後はカナダのトロント大学に進学しましたが、諸事情により2年で中退。大学でコンピューターサイエンスを専攻していたので、日本に帰国した後はIT企業で長期インターンを行っていました。2019年にインドネシア時代の知り合いから熱烈なアプローチを受けて、NCS(日本自動車サービス開発)にグループ初のエンジニアとして入社しました。当時、エンジニアとして何をやるべきかが決まっていなかったので、自分なりに工夫をして課題を抽出するところから取り組んでいました。ですが、グループ代表から「現場を知らないのに、デジタルでどんな改善ができるの?」と指摘を受け、営業職を勧められました。自分にはエンジニアとしての自負があったので、「やりません」と即答。すると「賢くやらないことを正当化する人より、素直で愚直に努力する人の方が成長する。お前はこのままじゃ成長しない」と言われ、気づけば「そこまで言うのなら、明日から営業します。結果を楽しみにしてください」と大口を叩いていました。負けず嫌いでプライドが高い性格なので、つい言ってしまったんです(笑)。これだけの大口を叩いたからには、普通の結果では意味がありません。1人前のボーダーラインを最短で達成するため、「3か月以内に、1か月間の仲介手数料100万円を達成すること」を目標に掲げました。最初はエンジニアのスキルを駆使してシステムによる営業を行いましたが、1か月目は0円、2か月目は30万円程度と低迷。「このままではだめだ……」とパニックになり、そこから毎日8時間、電話営業をしました。電話営業の中、話し方を変えたり、失敗と改善を続けた結果、3か月目に目標を達成することができたのです。これが1回目のターニングポイントでした。

「横濱ショック」からの大抜擢。

営業で成果を上げたところ、エンジニアに戻るのではなく、チームを持つことになりました(笑)。誰にでも臆することなく対話できるのが私の強みですが、チームを統括しはじめた当初、言い方やタイミングを間違えたことでメンバーから反感を買い、職場が崩壊寸前に……。後に「横濱ショック」と呼ばれる事件を起こしています。その経験から、多少のことは目をつぶり良い点をほめる方針に変えましたが、今度は部下の成長がストップ。改めて各メンバーと対話をする中で、「言い方やタイミングは考慮するけれど、みんなの人生にとって必要だと思う発言はやめません。嫌われても、みんなの成長を諦めません」と宣言しました。この会社では学歴は関係ありませんが、成長する能力は厳しく問われます。自ら行動し、課題を見つけ、考え、改善することができなければ働き続けることは難しいでしょう。もちろん、転職しても辛い思いをするはず。私もグループ代表から指摘を受けなければ、そしてそれを実行しなければ、今のような成長はなかったかもしれません。そうした思いから、私には行動し考えられる人間を育てる責任がある、と考えたのです。苦い経験ではありましたが、「横濱ショック」は2回目のターニングポイントとなりました。この2つのターニングポイントは、入社2年足らずで取締役に就任するという大抜擢に必要不可欠なものだったと思います。現在はダイレクトマーケティング本部で、エンジニアと営業の側面から部署を統括しています。取締役として、これからもいろんなことに挑戦し、メンバーも自分自身も成長できる職場を築いていきたいと思っています。


※掲載情報は取材当時のものです。