日本駐車場開発株式会社

多国籍な環境で培ったコミュニケーション力で、マネジメントのプロを目指す。

日本自動車サービス開発株式会社
取締役 今井 茜 関西生まれの関西育ち。中高、大学とインターナショナルな教育環境に身を置き、多様な価値観とコミュニケーションの大切さを学ぶ。ノルウェーへの留学を期に外資系企業への就職を志すも、コロナ禍により帰国。事業の多様さや若手登用の社風に惹かれ、2021年NPD入社。日本自動車サービス開発に配属となり、大阪支社、東京本社で日本駐車場検索サイトの運営管理に携わる。入社4年目となる2024年より取締役。東日本本部の副本部長として社員のマネジメントや採用を手がける。

海外留学からの途中帰国。
先輩社員の会社愛が入社のきっかけに

中高、大学と国際色豊かな学校でいろんな国籍の仲間と過ごしたことで、価値観の多様さを学びました。大学1年の時は全寮制だったのですが、掃除をしたことがない人、部屋で靴を脱がない人など、入寮者の生活様式は実にさまざま。部屋のルールひとつにしても、お互いの言い分を聞き合った上で決めていく必要があり、そうしたやり取りの中から学ぶことが非常に多かったと思います。大学3年次には学校のカリキュラムでノルウェーに留学し、海外生活を満喫していましたが、途中でコロナ禍に直面し、帰国を余儀なくされることになりました。現地で開催予定だった留学生向けの就活イベントも中止になり、不安なままの帰国。周囲に流されるように参加した合同企業説明会で、NPDと出会いました。具体的な事業内容からNPDで働くことの魅力までさまざまなことを話していただいたのですが、とにかく言葉の端々から「この会社が好きだ!」という気持ちが溢れ出ていたのを覚えています。NPDの事業の多様さや、風通しが良く年齢を問わずに活躍できる環境であることなど、生き生きと会社への愛を語る社員の方の姿が強く印象に残り、この会社で働きたいと思うようになりました。採用面接では、「将来は会社を立ち上げたいので、3年程度で学び切って独立したいです」と正直すぎるビジョンを語っていました(笑)。でも、そんな私に対してフラットに「それならば、もう起業した方がいいのでは?今井さんならきっとできますよ」と言っていただいたことで、改めて自分自身について振り返ることができました。周囲の家庭に自営業が多い中で育ってきたことから、自分もいつか起業するものだと漠然と思っていたのですが、実際には何をすればいいのか分かっていない自分に気づきました。それならば今はここで思い切り学びたいと思い、入社を決めました。

この会社なら、
自分のやりたいことを叶えられる

2021年に入社し、日本自動車サービスの大阪支社に配属となり、駐車場の検索サイト「日本駐車場検索」の運営管理業務を始めました。サイトを通じてお客様にアプローチし、ヒアリングからニーズを掴んだ上で最適なご提案をしていくのが主な仕事です。自分のアクションが売上に直結する面白さと難しさを感じながら奮闘する日々が1年ほど過ぎた後に、東京本社への異動を打診されました。関西生まれ、関西育ちの私にとって東京は未知のエリアですが、身ひとつで行きたいところへ行ける独身のうちにチャレンジしたいと考え決断しました。東京に来てからは4人体制のチームのリーダーとして業務に携わり、2024年の秋には取締役への打診をいただきました。チームの営業実績がNo.1だったことや部下の成長ぶりから、マネジメントや採用に関する能力を見込まれての抜擢だったと聞いています。「やります!」と即答したものの、先輩の役員陣と同じ立場になることの重みを感じ、「自分にできるんだろうか」という葛藤もありました。しかし、マネジメントや採用という明確なミッションが与えられたことで、「私が認めてもらうならここしかない」と覚悟が決まりました。いまは東日本全体の社員のマネジメントに取り組んでいますが、課題は山積みです。取締役となったことで、これまでフラットにやりとりしていた部下との間に距離を感じて悩むこともあります。立場が変われば言葉の影響力も変わることを知り、社員が気持ち良く動ける風通しのいい関係性や仕組みの構築に取り組んでいるところです。採用面接のときには「3年経ったら辞めます」と豪語していましたが、今はこの会社でできることを最大限にやり切りたいと考えています。NPDの事業展開は多岐に渡るので、いつか自分で事業を構想するようになったときも、NPDグループの中で叶えられるのではないかと思っています。採用面接の際にお伝えしているのは「就活自体に成功も失敗もない」ということ。仮に希望していた企業や業種へ進めなかったとしても、挑戦したこと自体に大きな学びがあります。ぜひ失敗を恐れずに、自分が納得するまで挑戦してほしいですね。


※掲載情報は取材当時のものです。