入社5年目で社長を任された子会社が、倒産の危機に。
最後まで諦めず、どん底からの黒字転換。
NPDと初めて出会ったのは、伸び盛りのベンチャー企業が集まるセミナーでした。学生だった自分たちより、NPDの社長である巽と当時の副社長の氏家がイキイキと楽しそうだったことを覚えています。正直、嫉妬しましたね。同時に、2人のビジネストークがとても勉強になり、ここで商売を学ぼうと決めたんです。入社後いろんな部署を経験し、4年目にカーシェアリング事業部に異動。この事業部が子会社化され、NCS(日本自動車サービス開発)の社長になったのは、入社わずか5年目の時でした。「これが社長になるということか……」とヒシヒシと実感したのは、全ての契約書面に社長である自分の名前が記載されているのを目にした時のこと。従業員であれば売上を上げることだけに集中すればいいですが、社長になるとそうはいきません。銀行との取引も、従業員の雇用も、お客様との契約も、すべて自分の責任で行うことになります。若くして抜擢されたのはいいものの、1年目は赤字に。2年目にはさらにどん底を経験するという、非常に厳しいスタートでした。会社は利益が出ていなくても、人件費や家賃など、毎月様々な費用がかかります。2年目になった時点で、このまま利益が上がらなければ1年8ヶ月後に倒産することが分かっていました。いま思い出しても胃が痛むような、ヒヤヒヤする日々でしたね。ですが、社長に抜擢してもらった以上、どんな状況になっても前進し続けることだけは決めていました。というのも、学生時代に一度起業して失敗した経験があるのです。想定よりも儲けが少なく、1年半で辞めてしまったのですが、「しんどい時期に踏ん張って継続するからこそ成功が見えるのでは? あの時諦めたのは早かったかもしれない……」というしこりとなって残っていました。だからこそ、計画通りにならなくても、今度は中途半端なところでストップするのはやめようと決めていたんです。資本金が底をついてしまったときも、グループの役員会で「僕の未熟さからこうなりましたが、再度チャンスをください。必ず成功させます」と頭を下げ、5,000万円の増資と5,000万円の貸付をしてもらいました。あの当時は本当に苦しかったですが、3年目に黒字転換し、7年目には7億円の営業利益を出すことができました。あらゆることをやりましたが、打率にしたら1割程度だったと思います。「天才のイチローでも打率3割。やったこと全てがヒットすると思うな」という巽社長の言葉があったから、新しい施策を出し続けることができました。巽社長には毎週のように叱咤激励していただきました。自分にストップさえかけなければ、ずっとサポートしてくれる。それがNPDなんです。真摯に事業に向き合い、しんどい時期を受け入れる覚悟と自分の力で成長させたいという意欲のある人には、非常に面白い環境だと思います。